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HOME > 大町市 > 10075 仁科神明宮

にしなしんめいぐう

仁科神明宮

通称
御神明様(おしんめいさま)
祭神
《主》天照皇太神
山ノ神社 《主》大山祇命
鎮座地
〒398-0003  大町市社1159
由緒
祭神は天照皇太神一柱で、むかし皇太神宮御領であった仁科御厨の地に勘請された。その創祀年代は明らかでないが、神宮雑例集によると後冷泉天皇の永承3年(1048)にはじめて信濃に御厨が建立された記事が見えるので、この時のものではないかといわれている。神宮雑書信濃御厨の記事(建久3年8月註進)にも、麻績、藤長、長田の御厨とともに仁科御厨の名を連ねており、しかも仁科御厨に限り「件御厨往古立也」と註記してあるので、信濃でも最も古いことがうかがわれる。その昔、古族仁科氏がこの御厨に拠り、400年の長い間終始その神役に従い、また神明宮に奉仕して神事を怠らなかったことを回顧するとき感慨深いものがある。天正10年仁科氏が滅びてからは、松本城主小笠原貞慶が神領として朱印15石を寄進し、以後松本藩主代々の祈願所として、寛永14年からは黒印23石に改められ、かつ又除地として村内並びに一之瀬(八坂村)、堀之内(白馬村)、借馬、野口(いずれも大町市)等に田畑山林、また青木湖一面等を有し松本藩中最も多くの神領を保って明治維新に至った。そして仁科66郷の総社として郷土の人たちの崇敬が深く、またわが国7神明宮の一つにも数えられて神威は大いに振るっていた。明治5年11月には郷社となり、明治26年8月には県社に昇格した。維新前の祭典と神事は、検校、神太夫、権頭の3神主のほか、小祝(こほおり)以下28人の社人が抱えられて祭祀を掌り、例祭は藩主奉幣の下に2月9日(現在の3月15日)、6月16日(現在の9月14日15日)に行われ、2月9日には古式作始めの神事、6月16日には流鏑馬の神事が行われた。また6月16日の例祭には「御戸(みと)開きの祭」の伝統的な神事があり、正月、5月、9月の各14日には祈願祭を行って藩主の武運長久と部内の安穏を祈り「湯立ての神事」が行われた。また藩主吉凶祈願の際は太々神楽が献奏された。明治以後はすべて氏子が奉仕することとなったので3月15日の祈年祭に「古式作始めの神事」が行われる他は、ほとんど廃されて9月16日の例祭には神楽が献奏されることになり現在にいたっている。また近代になってから11月23日の新嘗祭が大祭として行われ、氏子は献穀を行って感謝の誠を捧げ、昭和になってからは「浦安の舞」が奉納されるならわしとなった。「古式作始めの神事」は往古から行なわれてきたのであるが、文献上では今から約400年前、永禄9年作始めの舞台の記録を最古とする。現在とはやや異なった点もあるが、耕作の順序をうかがい知ることができる。現在では種まきの前に行われる「種占い」がその年の早生・中生・晩生の豊凶を知るものとして参拝者の人気を集めている。そして最後に歌上げ胴上げ芽投げなどが賑やかに行われる。流鏑馬はそのむかし仁科氏時代から行なわれたものであるが、江戸時代になっても6月16日は神明宮、翌17日は大町の若一王子神社で行なわれていた。明治の改革によって廃されたが、若一王子神社では今も尚盛大に行なわれており、鎌倉鶴ケ岡八幡宮並びに京都賀茂神社と並んで全国でも珍しい神事とされている。神楽は流鏑馬とともに仁科氏時代から伝承されているものといわれ江戸時代は藩主の吉凶祈願の際、随時献奏されたが、明治になってこれを流鏑馬にかえて秋の例祭に献奏することとなった。この神楽は面と装束をつけて古式ゆかしい笛と太鼓の楽に合わせて舞うものと、謡曲によって能楽のように演じるものとがあって、簡素でしかも神厳幽雅な気品を備えており、全国的にも類のないものとされている。社殿の造営については創祀以来、皇太神宮にならって21年目ごとに式年造営の儀を奉仕してきたもので、永和2年(1376)から21年目ごとに奉献された棟札が1枚も欠かすことなく保存されている。このように600年もの長いあいだ一度も欠かすことなく奉仕されてきた例は全国にもまったくないことであり、誠に貴い慣わしといわなければならない。しかしながら仁科氏が滅びてからは松本藩主がこれに代って奉仕したのであるが、寛永13年の御造営を最後として、その後はすべて御修造に留まり現在に至っている。現在の社殿は実にその時のものであり、300年を経ている。それからの御修造に当っても、巨大な用材が多く使用されるので、古例に法り高瀬川入神明宮御料林から伐木し御杣当時の大町組、池田組、松川組の3組(北安曇郡全部、大町市及び南安曇郡穂高町の内有明北穂高)に科して奉仕させたのである。明治になってからその責任は氏子並びに崇敬者の双肩にかかったので、明治11年の式年御造営に当っては、11、12両大区会議、その後は北安曇郡市町村長会の決議によって負担的寄附を仰ぎ、この大祭を滞りなく続けてきた。尚、式年の年ごと八代神明宮(池田町大字陸郷)では当社の古材をもって御修理を行ない、大祭には当方から神職や関係者が参加して大祭を行なう慣わしになっている。

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