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山家神社

支部名 上小支部
宮司名 押森慎
神社名 山家神社(やまがじんじゃ)
鎮座地 上田市真田町長4473
本社祭神名 大国主神 (おおくにぬしのかみ)
伊邪那美神(いざなみのかみ)
菊理媛神(くくりひめのかみ)
相殿 日本武尊(やまとたかるのみこと)
神八井耳神(かむやいみみのかみ)
真田神社 真田幸隆大人命  真田昌幸大人命  真田信幸大人命  真田幸村(信繁)大人命
例祭日 4月17日  奥社例祭日 6月1日(山開きを兼ねる)
由緒 山家神社は、後醍醐天皇の時代に編纂された延喜式(927年に完成)に登載がある由緒ある神社です。名将幸村で名高い真田氏や代々の藩主を始め、多くの人々から崇敬を受けて現在に至っています。創立年は不詳ですが、景行天皇の御代(71〜131)に日本武尊を合祀したと伝わっていますので、それ以前からなんらかの形で存在したと考えられます。御神徳としましては、農業、水利、疫病、盗難、その他諸々の災厄、祈雨、祈晴に霊験あらたかな為、古来、国司、守護職、武門、武将より一般民衆に至るまで、崇敬極めて厚く、その信仰は長野県下はもとより、埼玉、群馬、遠くは兵庫県にまで及んでいました。特に真田氏代々の崇敬極めて厚く、奥社並びに本社の営繕や寄進をうけています。尚、奥社ですが、群馬県との境の四阿山山頂にあり、加賀国一ノ宮『白山比盗_社』の御分霊を合祀し、「白山さま」とも呼ばれています。四阿山は神の山であり、そこから流れ出る神川の清流は生きとしいけるものに大いなる恩恵をもたらしています。引き続き真田神社ですが、真田氏は周知の如く当地より出て、全国に名を馳せた武将です。上田城で二度にわたり徳川の大軍を撃破し、また、大阪の冬、夏の陣では幸村の活躍により徳川軍を大いに苦しめ、「真田日本一の兵」と言わしめました。一方、領主としては善政を敷き、領民を大切にしました。その遺徳を偲び、且つその神霊を慰め、地域の鎮護とする為、建てられたお社です。
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