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八幡社
支部名 飯伊支部
宮司名 宇佐美秀臣
神社名 八幡社(はちまんしゃ) 【正八幡宮(しょーはちまんぐう)】
鎮座地 飯田市上村754
本社祭神名 誉団別尊(ほんだわけのみこと)
五郎姫宮(ごろうのひめみや)
八王神(はちおうじん)
源王大神(げんおうだいじん)
政王大神(まさおうだいじん)
両八幡大神(りょうはちまんおおかみ)

【石清水八幡,鶴岡八幡】
住吉明神(すみよしみょうじん)
日吉明神(ひよしみょうじん)
一ノ宮(いちのみや)

【宮簀姫宮(みやずひめみや)】
淀の明神(よどのみょうじん)
四面(よおもて)

【水、土、木、水】
瀬戸神(せとがみ)
若宮(わかみや)
守屋大神(もりやのだいじん)
富士天伯(ふじてんばく)
例祭日 4月8日
由緒 朱雀天皇の承中年間(931~937)に佐久麻呂が熊野本宮の仙人と出会い「木火土金水」の五神を歓請、現在の「四面、天伯」。
従って京都に上り、宮廷の儀式や賀茂神社の湯立を見伝えて男山八幡を歓請し、五個の面を祀って湯立を始めた。
その後、舎人采女として宮廷に上った子女が習い伝えた。
佐久麻呂の子孫が宮本となって祭りを継続したと伝えられているが、明和、天保、明治18年に神社焼失し文献等残っていない。
「吾妻鏡」文治二年(1186)に「江儀遠山庄」の名が登場し、鶴岡八幡宮寺の神領であった。よって鶴岡八幡宮が分祀されている。
寛永年間に疫病が流行し、遠山氏の崇りを恐れて、八社神として合祀、現在の形となり、昭和55年選択から指定となり、祭りは伝えられている。
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