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支部名 北佐久支部
宮司名 曽根徳隆
神社名 (青木)諏訪神社(すわじんじゃ)
鎮座地 小諸市丙字横山1106番地1
本社祭神名 健御名方命(たけみなかたのみこと)
八坂刀賣神(やさかとめのかみ)
例祭日 4月23日
由緒 神社というもののルーツは、「神」の御霊の依代・盤座・神座として、社(やしろ)や宮(みや)や祠(ほこら)を、その土地に住む人々が建立し、尊い場所として境界線を引き、俗世界と隔絶したことが始まりと考えられますが、当氏子区域に鎮座する神社も、その原形は、その土地の守り神、産土の神様であり、と同時に、その土地を開拓した氏子の皆々様の遠き御親、先祖神であったことは想像に難くありません。
産土神社の本当の由緒とは、まさにこの事に尽きるのです。
神社神道が古事記日本書紀に登場する神々を御祭神として明示するようになり、当氏子区域の産土神社は、主祭神を諏訪大社から勧請し、「建御名方命」とし、社名を「諏訪神社」と致しました。
「建御名方命」は「大国主命」の御子神であり、「八坂刀売神」と共に夫婦神として、長野県全体の開拓神、農耕・風水・狩猟の神、夫婦円満の神、また鎌倉時代以降には、軍神・武士の神としても、信仰を集めました。
『青木神社元宮』:現在のJR土手上ダイハツ付近に位置し(元宮あり)、過去には清水の駅の西方にあったとされ、天王社と同じく元文6年(寛保元年:1741)頃に、現在の新町へ遷座されたと言われる。また、清水駅の鳴海街道側には、実際に青木という地籍があり、そこに鎮座していた模様。
現在青木神社は諏訪神を主祭神として祀り、市町・新町・柳町、栃木、富士見平、押出、及び市街地西南部広域の産土神社としての性格を帯びている。
『天王社元宮』:現在の西原から諸への入口付近に位置し(記念祀あり)、過去には清水の駅の中央南側付近にあったとされ、元文6年(寛保元年:1741)頃に、現在の市町へ遷座されたと言われる。
祇園祭の神輿練り、お囃子による城中練り、春祭(元始祭)の獅子舞、稲の花市など、多様な行事伝統あり。
天王社は、建速須左之男命(牛頭天王)を祭神とする、青木神社の境内神社である。
当氏子区域の産土神社と鎮守の杜が、いつまでも皆様に尊ばれ、愛され、親しまれる神聖な場所、心の拠り所、かけがえのない財産でありますことを心よりお祈り申し上げます。
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