トップ > 神社紹介 > 飯伊支部 > 神護原神社


支部名 飯伊支部
宮司名 下平 博
神社名 神護原神社 (じんごばらじんじゃ)
鎮座地 下伊那郡松川町元大島3985
本社祭神名 健御名方命 (たけみなかたのみこと)
例祭日 春 4月第1土、日   秋 10月第2土、日
由緒 神護原神社は松川町名子「神護原」に鎮座する。
中世名子郷の名残を残す地名の多い、現在の名子地籍南側にあり創立以来健御名方命を祭神とする。
古くは諏訪大明神あるいは健御名方社と呼ばれていたが明治41年、現在の社号に改められた。これは鎮座地の地名に出来する。
『信濃伊奈神社仏閣』には諏訪大明神と呼ばれていた事を示す記述があり「大島郷三カ村の総氏神」と記載されている。大島郷三カ村とは古町村、上新井村、名子村の三カ村で旧大島村の全体を意味する。
本社は古く、諏訪神社の分霊を奉祀したものと言われ、鎌倉幕府の公文書たる『吾妻鏡』にも記されている。
諏訪上社の重要祭祀の一つに御頭祭の神事がある。古くは鎌倉時代に北条高時の下知によって執り行われた諏訪上社御頭祭の大役に奉仕して後、地元である名子郷において、諏訪明神を奉斉した「御頭上げ」の祭事を執行したのがこの神護原神社であつたといわれる。
諏訪神社の古例にならい寅申年の七年毎に式年祭を執行し、御柱を立て、諏訪本社から薙鎌、御符を受け、毎年の祭りに行われる「湯立の神事」と共に現在に及んでいる。
江戸時代以降、諏訪上社との関係は諏訪社家守矢家の「守矢文書」、旧名子村の「名子公用曰記」にも明記され、明治以降についても頭役料、御符料、造営料としてこの関係は今日も継続している。
→飯伊支部へ戻る

Copyright (c) 2006-23 NAGANO-Jinjacho. All Rights Reserved.